ハンニバル戦争
ハンニバル戦争は、紀元前221年にカルタゴの高名な将軍であるハンニバル・バルカ(Hannibal Barca )が軍隊に司令官として指名され、ローマ領サグントゥムを攻撃し、陥落させたことから始まった戦争である。ハンニバルは条約違反を犯したにも関わらず、罰は下されずローマ本国との戦争が始まる。これ別名「第二次ポエニ戦争」とも呼んでいる。ティキヌスの戦いでローマ軍を敗北させ、直後、トレビアの戦いでも執政官であるティベリウス・センプロニウス・ロングスを敗り、飛ぶ鳥を落とす勢いであった。しかし、ファビウス・マクシムスがローマ側の主導権を握ると、ハンニバルと戦わない戦術を展開し、ハンニバルがいない間に攻撃するという作戦で苦戦を余儀なくさせたのであった。ファビウスの戦術により、ハンニバルの行動は封じ込められるようになって来て、その後ザマの戦いで敗れるのである。ハンニバル戦争後、ハンニバルは敗北を繰り返し、逃亡した。そして、その逃亡先で服毒自殺をしたと言う。